『東京都の想定の範囲』 2005年6月2日(木)

新潟の中越地震の傷跡も癒えないうちに、九州・福岡でも地震。
関東大震災も、いつ起こってもおかしくない状態といわれてますし。
東京にもし大地震が起こったら、、、。
東京都の防災対策は、どうなってるんでしょう。
心配になって、東京都防災対策危機管理センター長に会って来ました。

「もし、地震が東京を襲ったら、、、東京都の準備はできてるんでしょう か?」
「まぁ、防災対策に、完全というものはないですが、一応、考えられる対策は、 すべて整えてますよ」
「じゃあ、安心してて、いいんですね」
「いえ、そういうわけではありません。
実際の震災となると、予想を超えたことも起こる。 あらゆる想定はしてますが、それを超える事態が起こることは、覚悟していただかないと」

「そうですか、、、。
それでは、どのくらいの想定をしてるんですか? どこまでの想定ですか?」
「う〜ん、起こりうるすべての事態を想定してますよ」
「たとえば?」
「そうですねぇ、都知事が被災して、まぁ、縁起の悪い話ですが、お亡くなりにな ったとか」
「ほぉ〜、そんな想定を、、、。
で、そのときは、どうするんですか、東京は、大震災に見舞われて、指揮をする都 知事が死んだときは?」
「別に。いつもの訓練のとおりです。
ここのマニュアル通りに、対処します」
「それは、すごいですねぇ〜」
「まぁ、それが、防災対策というものです」

「東京都の防災対策は、完璧のようですね。安心しました。
都知事が死亡するという最悪の事態まで想定して、防災対策マニュアルを作成 してあるとは、感心しました、、、」
「あの〜、都知事の死亡は、最悪のシナリオではありませんが、、、」
「えっ、都知事が死ぬのより悪いシナリオも考えてあるんですか?」
「もちろんです。ほんとの最悪のシナリオです」
「一体どんな?」

「それは、ここの防災対策危機管理センターが被災することです」
「ここが被災ですか、、、?」
「そうです。このビル全体が一気に崩壊し、ほぼ全員が死亡とか、、、」
「それは、困りますねぇ〜」
「ええ」
「すると、東京都の地震の後の指揮は、どこがとるんですか?」
「もちろん、都知事です」
「そうだ。都知事がいるなら、いいじゃないですか、、、」
「最悪ですよ。
地震による被災も、戦争の被害も、区別しない人ですからねぇ〜。
東京に大震災が来たと知ったら、まず、外国人の犯罪を防げ。
そう命令を出すような人です。
われわれが生き残ってれば、都知事にそれは違いますよと進言できますけど ね、ここが被災したら、あの都知事が、おかしな指示を出しまくりますよ。 それが、われわれの持つ最悪のシナリオです」

ということは、信頼できる人が都知事になるまでは、都民のみなさんは、安 心して眠れないということのようです。


都副知事問題:都庁、機能不全 業務滞り、幹部人事進まず−−職員うんざり顔

 ◇知事の責任問う声も

 「副知事が独裁的な都政運営をしている」と議会が「NO」を突きつけた東京 都。問題浮上後、議会から要求された資料づくりに追われ、業務が滞った部局も ある。とうに固まっているはずの幹部人事もストップしたままで、17万職員の 都政は機能不全に陥っている。石原慎太郎知事は側近の浜渦武生副知事を含む特 別職一新という大ナタを振るう意向を示したが、職員からは知事本人の責任を問 う声も上がっている。

 浜渦副知事の議会答弁をめぐって、都議会が調査特別委員会を設置したのは3 月16日。議会の求めに応じ、都が提出した資料は段ボール5箱に上った。幹部 の1人は「資料づくりのために本来の仕事が手に付かない部局もあった」と打ち 明ける。別の幹部によれば、今ごろは来年度の予算要求に向け、各局が施策の検 討を始める時期だが、「本腰を入れられず、すでに決まっている事業を進めてい る。職員のやる気もうせている」という。

 人事にも影響が出ている。当初は5月の連休明けには特別職の人事案が決まる 予定だった。だが、副知事人事が固まらないため、7月異動に向けた作業はスト ップしたままだ。職員の1人は「どうなってしまうのか」とつぶやく。

 5月の1カ月間で石原知事が登庁したのは7日。4月も9日のみだった。ある 幹部は「就任当初はもっと出ていたが、徐々に少なくなってきた。登庁しても、 いるのは3時間程度。都政への情熱が冷めてしまったのでは」と話す。

 その留守を預かっていたのが、30年来の側近である浜渦副知事だった。「あ の人は知事のためなら何でもする。知事もあの人になら遠慮はない。切っても切 れない関係にある」と別の幹部。今回の問題が起きてからも、知事は浜渦副知事 をかばい続けた。課長級の職員は「辞職後の天下り先が問題。都と関係の深いと ころなら、幹部がお伺いをたてに行く場所が移るだけになる」と警戒する。

 管理職の1人は「浜渦副知事の独裁を招いたのは知事の責任。自らが責任を取 らずに特別職を一新しても不信感は消えない」と話した。

 ◇「刑事告発を」−−百条委議決方針

 浜渦武生副知事の議会答弁をめぐり設置された都議会調査特別委(百条委)の 理事会は31日、百条委での浜渦副知事の「偽証」について、「刑事告発すべき もの」と議決する方針を決めた。同日午後の百条委で採決する。石原慎太郎知事 は30日、浜渦副知事を更迭する意向を示したが、議会側が強硬姿勢を見せた 形。議会側は6月1日開会の定例都議会での後任人事案の提出を求めている。石 原知事が定例都議会までに浜渦副知事を辞職させ、後任人事案を提出しなけれ ば、議会は浜渦副知事に対する刑事告発を本会議で議決する方針。
毎日新聞 2005年5月31日
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クローズアップ2005:大揺れ石原都政 浜渦氏偏重にツケ

 ◇辞職時期も特別扱い

 絶大な人気を誇った東京都の石原慎太郎知事の求心力に、陰りが見える。側近 の浜渦武生副知事に議会与党から突きつけられた辞職要求に対し、石原知事は特 別職5人の辞職で合意を取り付けた。だが、辞職時期についてまで浜渦副知事を 特別扱いしたことに、庁内の批判は強い。「石原都政の終わりの始まり」と見る 都幹部もいる。

 5月30日夕、都議会自民、公明の幹部と都内のホテルで会談した石原知事 は、浜渦副知事を含む5人の特別職を辞職させる収拾策を示した。浜渦副知事以 外の4人の辞任時期は6月下旬。しかし、浜渦副知事の辞任時期に知事はこだわ った。

 自公側によると、石原知事は浜渦副知事の辞職時期について最初、「来年の3 月ではどうか」と打診した。「それは通らない」と拒否されると、「今年の暮 れ」「9月議会」と少しずつ譲り、最終的に「都議の任期の7月22日」を示し た。その際には「これをのんでもらわないと自爆する」とまで言ったという。自 公幹部に、「7月22日」を知事が譲れない理由は分からなかった。ただ、「自 爆」は、知事の辞職の示唆と受け止めた。自公は、知事案を了承した。他の4人 に比べ1カ月近く遅れての辞職は、こうして決まった。

 与党幹部は「知事が、あそこまで浜渦さんに執着していることに改めて驚かさ れた」と話す。都庁内には「他の特別職に連帯責任をとらせること自体が不自然 なのに、問題を起こした本人を特別扱いするとは」と批判も強い。

 浜渦副知事の答弁をめぐり、都議会に調査特別委員会(百条委)が設置された のは3月16日。批判にさらされた浜渦副知事を石原知事はかばい続けた。その 証言が「偽証」と認定された翌日の記者会見でも「もう少し浜渦副知事の言い分 を聴取してもらいたかったような気がする」と、百条委の対応を批判した。

 浜渦副知事が就任直後、けんか騒ぎや週刊誌記者とのもみ合いなどのトラブル を起こした時も、石原知事はかばい続けた。都幹部は「職員の手前、処分すべき だと進言したが、知事は聞き入れなかった」と振り返る。

 1日開会した定例都議会。所信表明した石原知事は浜渦副知事の問題には一切 触れなかった。傍聴席から「知事の責任はどうなってるんだ」「辞めろ」と怒号 が飛ぶ中、石原知事と浜渦副知事は硬い表情のまま、議場を後にした。最後まで 貫いた「浜渦偏重」。石原知事の選択肢を狭めている。

 ◇永田町、色あせた「石原カード」

 東京都政の混乱は、中央政界にも影を落としている。自民党内では、小泉純一 郎首相の独走をけん制するカードとして石原知事の「国政復帰」説が意図的に流 されることもあったが、浜渦問題によって「石原カード」は色あせた。

 今回の問題で「都政をろう断したイメージがついて回る」(自民党都連関係者) のは必至。石原氏に近い自民党幹部でさえ「一度永田町を出た人を首相候補に担 ぐのは、永田町がよほど切羽詰まった状況にならないと難しい」と語る。石原氏 の存在を小泉首相に対するけん制に利用しようとしていた反小泉勢力は、一層の 手詰まり状態になる。

 ◇知事「名代」で影響力

 浜渦副知事は、都庁に不在がちな石原知事の「名代」として、都政に大きな力 を振るってきた。

 石原知事の登庁は週2〜3日。午後からが多く、在庁2〜3時間程度だ。4月 の登庁は9日間、5月は7日間にとどまる。日報には「庁外」「休暇」の文字が 目立つ。

 知事周辺によると、「庁外」の内容を知るのは、浜渦副知事と特別秘書など数 人。他の副知事や局長も知らされない。小説やコラムの執筆などのほか、永田町 の都道府県会館にある執務室で人に会うこともあるという。

 浜渦氏は大学在学中、講演会で石原氏と出会った。石原氏が参院から衆院にく ら替えした72年の選挙を手伝い、そのまま公設秘書に。石原都政誕生直後は副 知事選任について議会の同意を得られず、いったん特別秘書となり、00年7 月、副知事に就任した。4人の副知事の中で序列はナンバー2。監理団体改革や 財政再建などを担当する。

 職員が石原知事に政策を説明する際は、浜渦副知事の了解を得る慣習がいつし かできた。ある幹部は「浜渦副知事に『お手紙』を出して了解を得てから、改め て担当副知事に説明することさえある」と明かす。

 人事でも絶大な力を持つため、自公側は浜渦副知事の辞任時期を了承した際、 「7月16日付の人事異動は、浜渦副知事にやらせない」と条件を付けている。
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 <東京都の混乱の経緯>
3月16日 浜渦副知事の議会答弁をめぐり、都議会が百条委設置を決める
  29日 百条委に浜渦副知事が出頭し、疑われていた民主都議への「やら
      せ質問」工作を否定
5月12日 百条委が浜渦副知事の「偽証」認定
  16日 百条委の意見表明で自民、公明が浜渦副知事の辞職を迫る
  26日 福永、大塚両副知事、横山洋吉教育長が「進退伺」を石原知事に
      提出
  27日 石原知事会見。特別職人事について「結論を出した。議会に先に
      伝える」
  30日 石原知事が自公幹部と会談し、特別職5人を辞職させると明言
  31日 百条委が浜渦副知事の告発方針を議決
6月 1日 定例都議会開会(7日まで)
毎日新聞 2005年6月2日



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