『新施設へ参ろう!』 2005年6月6日(月)

小泉総理の靖国神社参拝問題が、いまだ騒がれてますが、あの朝日新聞 (下に記事)が、問題解決の手段として「無宗教の国立追悼施設の建立」 を提案しています。
おもしろいことに、あの読売新聞も、「無宗教の国立追悼施設の建立」と、 ハンで押したような同じことを主張しています。

しかし、国立の新たな追悼施設というのにも、反対する人はいますから、 まぁ、実現は、難しいでしょう。特に、自民党に反対する人が多いんで すから、ますます難しい話ですよ。
小泉総理が「郵政民営化に政治生命をかけている」というくらい熱心に 取り組むのと同じように、「国立追悼施設の建立」に取り組む総理でも 出てくれば、話は別ですが、まぁ、しばらくは無理というもの。

それでもなにやら利権のにおいをかぎつけたのか、「国立追悼施設の建立」で、 ひと儲けしようと、気の早いゼネコンが、談合を始めたといううわさも聞こえ てきますが、あくまでも“うわさ”、「国立追悼施設の建立」が難しいことは 変わらないでしょう。

ただ、もし、建設できたらどうなるか、、、?
どうなると思いますか?

20×○年、新しい国立の追悼施設が完成したので、ぜひ、参拝に来て欲しい。
中国や韓国に、こんな風に、招待状を送れます。
まぁ、いきなり中国の国家主席が来日、新施設に参拝とはいかないでしょうけど、 長年「首相の靖国参拝は軍国主義への復活だぁ〜」と叫んでいた中国ですから、 誰か要人を送ってくるはず。

ピカピカ光る完成したばかりの追悼施設へ、日本の首相と中国要人が入り、肩 を並べて、献花するのです。
ちょうど、アメリカのアーリントン国立墓地に、中国の首脳が参拝するときと 同じシーンが見られるでしょう。記念すべき瞬間です。

この感動的なシーンを見ながら、中国の随行員の一人、ワン・チャムダイ氏が、 一緒に見ていた日本の外務省職員に聞きます。
「靖国神社に合祀されてたA級戦犯は、ここにはいないでしょうねぇ〜?」
「いや、いますけど。
靖国神社の英霊は、全部、ごっそり、ここに移設しましたから、A級戦犯だけ、取 り除くということはできませんけど、何か?」
「ちょっと待ってください。何がじゃないでしょ。なんで、わが国の主席がA級 戦犯に参拝しなきゃならんのですか?」

「え〜と、ちょっと待ってください」と言って、外務官僚は、配られていた中国 外交団歓迎要綱に目を通した。
そこには、はっきりと「A級戦犯の合祀については極秘」と書かれてあった。
外務官僚は、急いで上司のところに駆け寄り、しばらく話していたが、息を切ら して走ってきて言った。

「言葉の問題があって、誤解を与えたかもしれませんが、A級戦犯がここに合祀 されてるという事実は、外務省としては関知しておりません」と開き直った。
そして、「まぁまぁ、これを」と記念式典に出席している人からは見えないよう に、中国人随行員のポケットに、外務省の振り出した小切手を、そっと入れた。


【社説】靖国参拝 遺族におこたえしたい
2005年06月05日(日曜日)(朝日新聞 http://www.asahi.com/)

 朝日新聞が小泉首相の靖国神社参拝に反対していることについて、遺族の方や 読者の皆さんから手紙やご指摘をいただいている。その中には、次のような意見 も少なくない。

 あの戦争で国のために命を落とした者を悼むことの、どこがいけないのか。首 相が参拝するのは当然ではないか――。この問いかけについて、考えてみたい。

 兵士として戦地に赴いた夫や父、子どもが亡くなる。その死を悲しみ、追悼す るのは当然の営みだ。平和な戦後の世に暮らす私たちにとっても、それを共有す るのは大切なことだと思う。

 戦死した何百万もの人々の一人ひとりに家族があり、未来があった。それを思 うと戦争の残酷さ、悲惨さを痛感させられる。靖国神社に参拝する遺族や国民 の、肉親や友人らを悼む思いは自然な感情だろう。

 しかし、命を落とした人々を追悼し、その犠牲に敬意を払うことと、戦争自体 の評価や戦争指導者の責任問題とを混同するのは誤りだ。上官の命令に従わざる を得なかった兵士らと、戦争を計画し、決断した軍幹部や政治家の責任とは区別 する必要がある。

 靖国神社は78年、処刑された東条英機元首相らを含む14人のA級戦犯を合 祀(ごうし)した。このことが戦死者の追悼の問題をいっそう複雑にしてしまっ た。

 かつて陸海軍省に所管されていた靖国神社は、戦死者を悼むと同時に、戦死を ほめたたえる、いわゆる顕彰の目的があった。戦意を高揚し、国民を戦争に動員 するための役割を果たしてきた。

 戦後、宗教法人になったが、戦争の正当化という基本的なメッセージは変わら ない。自衛のためにやむを得なかった戦争であり、東京裁判で戦争責任を問われ たA級戦犯は連合国に「ぬれぎぬ」を着せられたというのが神社の立場だ。  「朝日新聞は中国の反日に迎合しているのではないか」とのご指摘もいただい ている。

 だが、中国が問題にしているのは一般兵士の追悼ではなく、戦争指導者の追悼 である。A級戦犯が合祀された靖国神社を、日本国を代表する首相が参拝するの が許せないというのだ。

 侵略された被害国からのこの批判を、単純に「反日」と片づけるわけにはいか ないと思う。

 小泉首相は、将来の平和を祈念して参拝するのだという。しかし、そのことが 日中や日韓の間の平和を乱しているとすれば、果たして靖国に祭られた犠牲者た ちが、それを喜べるだろうか。

 日本国民の幅広い層が納得でき、外国の賓客もためらうことなく表敬できる。 そんな追悼の場所があれば、と願う。

 02年、当時の福田官房長官の私的諮問機関は、戦没者を追悼する場として新 たな無宗教の国立施設の建立を提言した。そんな施設こそ、首相が日本国民を代 表して訪れ、哀悼の誠をささげる場にふさわしい。いま、改めてそう考える。
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6月4日付・読売社説 20050604
 [靖国参拝問題]「国立追悼施設の建立を急げ」

 小泉首相は、いったいこれまで、どのような歴史認識、歴史観に基づいて靖国 神社に参拝していたのだろうか。

 2日の衆院予算委員会で、小泉首相は民主党の岡田代表の質問に答弁し、極東 国際軍事裁判(東京裁判)で有罪とされた、いわゆるA級戦犯について「戦争犯 罪人であるという認識をしている」と述べた。

 “犯罪人”として認識しているのであれば、「A級戦犯」が合祀(ごうし)さ れている靖国神社に、参拝すべきではない。

 連合国軍総司令部(GHQ)が定めた「裁判所条例」に基づく東京裁判が、国 際法上妥当なものであるかどうかについては、当時から内外に疑問の声があっ た。インド代表のパル判事による「全員無罪」の判決書はその典型である。

 フランス代表のベルナール判事や、オランダ代表のレーリンク判事も、裁判所 条例の合法性や、国際法上の適用に疑問を表明した。

 また、サンフランシスコ講和条約発効後、いわゆるA級戦犯の刑死は国内法上 は「公務死」の扱いにされた。

 「A級戦犯」として禁固7年とされた重光葵氏は、戦後、鳩山内閣の副総理・ 外相となった。終身刑「A級戦犯」だった賀屋興宣氏は、池田内閣の法相を務め ている。言うなれば“犯罪人”が法の番人になったわけである。

 しかし、「A級戦犯」が閣僚として、“名誉回復”されたことについて、諸外 国からとりたてて異議はなかった。

 そうした歴史的経緯から、いわゆるA級戦犯は、「戦争責任者」ではあっても “犯罪人”ではない、とする議論も根強くある。

 いわゆるA級戦犯が、靖国神社に合祀されたのは1978年のことである。翌 79年に、そのことが明らかになるが、当時の大平首相、次の鈴木首相は、従来 通り、靖国神社に参拝している。

 大平首相は「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものについての審判は、歴史 が致すであろうと私は考えております」として、いわゆるA級戦犯が“犯罪人” であるかどうかについての認識表明は留保した。

 小泉首相は、岡田代表の質問に答える中で「首相の職務として参拝しているも のではない。私の信条から発する参拝」と述べ、私人として参拝しているとの立 場を表明した。

 私的参拝であるなら、参拝の方法も考えるべきではないか。昇殿し、「内閣総 理大臣」と記帳するのは、私的参拝としては問題がある。

 公的、私的の区別については、三木首相が1975年に参拝した際に「私人」 と言って以来、関心の対象となったが、その後の首相は、概(おおむ)ね公私の 区別について、あいまいにしていた。

 鈴木首相の時代には、公私の区別についての質問には答えないという方針を打 ち出している。

 しかし、小泉首相のようにはっきりと「首相の職務として参拝しているもので はない」と言うなら、話は別である。

 首相の靖国参拝を巡っては、以前から「問題解決」の方法としてのA級戦犯分 祀論がある。だが、現在の靖国神社は、一宗教法人だ。政治が「分祀」せよと圧 力をかけることは、それ自体、憲法の政教分離原則に反することになろう。

 「分祀」するかどうか、あるいは「分祀」できるかできないかなど、祭祀の内 容を解釈するのは、一宗教法人としての靖国神社の自由である。

 ただ、国内にはさまざまな宗教・宗派があり、現実に、宗教上の理由からの靖 国参拝反対論も多い。

 靖国神社が、神道の教義上「分祀」は不可能と言うのであれば、「問題解決」 には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない。

 小泉内閣の誕生した2001年、福田官房長官の私的懇談会が、戦没者の追悼 のあり方について検討を進め、翌年には国立、無宗教の追悼・平和祈念施設の建 設を提言する報告書をまとめている。

 どのような施設にするのか、どう追悼するのかといった点で、報告書は具体性 に乏しい面もあるが、早急にその内容を詰め、新しい追悼施設の建立に着手すべ きだろう。

 米国のアーリントン墓地には、外国の元首などがしばしば献花を行う中心施設 として無名戦士の墓碑がある。

 国立追悼施設も、屋外施設でよい。東京都心の新宿御苑の一角に、記念碑のよ うな追悼施設を建てればいいとの議論があるが、十分に検討に値する。

 毎年、8月15日に政府が主催している全国戦没者追悼式は、従来通り東京・ 九段の日本武道館で行えばいい。

 ただ、小泉首相が靖国参拝をやめたからといって、ただちに日中関係が改善さ れるわけではない。

 もともと、A級戦犯合祀が明らかになった後も、大平、鈴木首相の靖国神社参 拝に対し、中国からの表立った異議はなかった。

 異議を唱えるようになったのは、1985年に中曽根首相が「公式参拝」の形 をとってからである。中曽根首相はその翌年に、中国の抗議に屈して、靖国神社 への参拝を中止した。いわば中国に外交カードを与える結果になった“失政”が 今日の混乱を招いた。

 その後、天安門事件で共産党統治の求心力に危機感を抱いた中国は、「愛国・ 反日教育」の強化に転じ、年々歳々、膨大な数の反日世代を育て続けている。

 4月に行われた反日デモのスローガンは、当初、日本の国連安保理常任理事国 入りの問題であり、台湾問題だった。

 今後の日中関係を考えるうえで、そうした中国の国内情勢も、注視していく必 要がある。(2005年6月4日1時35分 読売新聞)



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